わたしの冒険日記
 
日々の出来事をブログに書き綴っていきます。
 



育児

親友が大阪に引越ししてきた!

私の小学校からの大の親友が結婚して遠方に行っちゃったんです。
学生の頃はしょっちゅう遊んで、喧嘩もしたけど一番の親友だったので同じ日本国内とは言えど遠くに引っ越してしまうことをとても寂しく思っていたんですが、ご主人のお仕事の都合で大阪に引越してくることになったんです。
親友から連絡をもらった時はめちゃくちゃ嬉しくて、ついつい声が出ちゃいました。
子供に「ママ大丈夫??」なんて心配される始末です。

親友はお正月とかお盆くらいにしか地元には帰ってこないので、会えるのも多くて年2回程度でした。
私に予定が入っていて会えない時もありました。
それが、大阪に引越ししてきたら、もっとたくさん会える~と思うと<今からウキウキしますね。
大阪に引越してくるのは約2ヶ月後なんですが、もう今から楽しみで楽しみで仕方ありません。
会って何するというわけではないんですが、やっぱりおしゃべりでしょう。

昔から付き合いがあって、腹を割っていろんなことを話せるのって数人しかいません。
その数人もみんな結婚で遠方に住んでいるので、普段はメールやら年賀状やらだけになっているんですが、女性同士の付き合いは結婚したり子供が生まれたりして減っていくということはわかっていましたが実際はさみしいものなので、心底!嬉しいんです。
とりあえず、子供の年齢も近いということもありますので、休日に子供連れで会いたいな~なんて考えています。
友達が実際大阪に引越してくる頃には季節もちょうど良さそうなので公園で子供を遊ばせながらお話したいです。



3月15日(水)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 育児 | 管理

子供に物事を教えるのには親の体力が必要です。

4歳の娘が義両親に自転車を買ってもらいました。
補助輪付きなので走行も安定しているだろうし安心だねなんて主人と話しながら自転車を持って家族3人で公園へ行きました。
その公園はとても広くて空いているので子供が自転車で走っていても全く危なくありません。
「さあ漕いでみろ!」
と主人が言うと娘はゆっくりですが自転車をこぎだし、はじめはゆっくりだったスピードも私たち親が頑張って走らないときつくなるくらいのスピードになってきまし
た。
そしてそれから1時間くらいしてその日は終了したのですが、娘は次の日、その次の日と飽きることなく自転車をひたすら漕ぎ続けていました。
そして今日、久々に(といっても1週間ぶりほど)自転車に乗らせてみるとちらちら走りながらこちらを見てくるのです。
今まであんなにうまかったのになんでこっちを見てくる?と疑問でしょうがなかったのですがとにかく前を見るようにしないと危ないと思い「前見て!」と娘に呼びかけますが注意散漫でついに転んでしまいました。
自転車で転ぶことが初めてだった娘はショックだったようですが「まだやりたい。」と再び自転車をこぎ始めました。するとまたすぐにこちらに手を振ったりちょこちょこ私のほうを見るので、思わず近づいて「とにかく前を見るの!」と向かせましたがはじめだけよくてもやはりまたよそ見をして転倒。
今回は自転車も倒れて娘にかぶさりそうだったので「もうやめよう。」そう言っても娘はやりたがったので仕方ないので今度転んだら帰ろうといって漕がせるとまたちらちらこちらを見てくる娘。
今度は思いっきり転んで泥まみれになってしまいました。
さすがに何回も言っても聞かないので今日はやめさせようと帰宅しましたが、自転車をこいでいたはずの娘より私のほうがどっと疲れてしまいました。

また明日も自転車に乗りたいと娘が言ってきてはいますが、明日は主人だけで行ってもらって私は家でのんびりお茶でもしてたいなと思います。



10月23日(日)17:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 育児 | 管理

私の大切な宝物と目指す目標とは

私には、2歳の息子がいます。毎日、息子も共にする時間はとても早く感じます。子供の成長って本当に早いもので、『え!こんなこと出来るの?』『こんなこと話す様になったんだ!』の繰り返しです。子供の成長って親の成長だと、母から聞かされており、まさにその通りだと思います。息子が2歳なら、私は母親2歳ですね。これからも、共に成長していきたいものです。

そんな私の実家には、愛犬のワンちゃんがおります。独身時代は、よく一緒に寝たり溺愛。結婚し、実家を離れてからは 当然ですが子育て奮闘中の為、愛犬と戯れる時間が激減しました。そんな愛犬ももう14歳と老犬です。年齢の問題か分からないですが、急性心不全になってしまいました。毎日、薬を何種類か飲み、食事のペースは落ちましたが、彼なりに頑張って生きています。トイレした後の嬉しそうに尻尾をフリフリする姿、病気する前までは、当たり前の行動でしたが、病気になった今では、その姿見るだけで涙が出そうになります。もうそんなに長くは生きることは出来ないけれど、彼の頑張って生きようとする姿はしっかり見守っていきたいと思います。

今度、実家に帰る時には好物の缶詰めの御飯を持って行こうと思います。実家では、兄が愛犬の世話をしてくれています。本当に心優しい兄です。結婚した私にも、よくしてくれます。私の息子を、自分の息子の様に可愛いがってくれて、息子も『おじさ~ん!』とよく慣つき大好きみたいです。私は、周りの皆によく助けられながら生きています。親孝行、兄孝行絶対しないと。
最近、本当に暑くなりましたね。毎年、夏が来れば『早く冬にならないかな』冬が来れば『夏にならないかな』言っている気がします。今年は、水遊びが好きな息子を
プールに連れていかなくては。ってことは、水着を着ますよね。夏まで数ヶ月、痩せなくては。今のままでは危険危険、頑張ります(笑)基本中の基本、間食をまず止めなければ。一時流行った『朝食にバナナ食べながら水を飲む』そういえば、私の父が実践しておりました。対して太ってない父でしたが。効果はあった様です(笑)私も試したことありますが、だめです、お腹がすぐすいてしまう。仕事に集中出来なかった覚えがあります。
エクササイズのDVDを見ながら、代謝をよくする運動も実践しましたね。当時は、実家暮らしでしたので、激しく踊ったり飛んだりしても何も問題はありませんでした
が、今はアパートの2階に暮らしているのですぐクレームになりそうです。目指せ、夏までに-○○㎏頑張ります。



7月11日(火)21:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 育児 | 管理

娘が小児矯正をしています。

年7歳になる娘がいるのですが、歯が生えてきた頃から噛み合わせがおかしく、歯科検診の度に反対咬合という診断を受けていました。
とりあえず永久歯が上2本、下2本生えてきたら矯正するかどうか考えましょうということを言われていたので永久歯が生えてきた頃、小児歯科に検査に行きました。

レントゲンを撮ったり、色々な検査の結果、やはり反対咬合で矯正が必要とのことでした。
ただ、顎など骨格は正しい位置にあるので、装具を付ければ1年位で治るんじゃないかな?という診断でした。
お金もかかることなので、悩みましたが女の子なので早めに治してあげたい気持ちが強く、矯正することに決めました。
今はデンタルローンなるものがあるということで、家を建てたばかりでお金もなかったのでデンタルローンを利用する事にしました。

娘の場合は、歯の裏側に矯正装具をつけ、フェイシャルマスクで引っ張る方法で治療していくということになりました。
色々な説明を受けて、分からないことだらけでしたが、院長先生がとても優しく説明してくれたので安心できました。

最初はブラッシングの指導から始まり、虫歯の治療を経て、ようやく装具の取り付けへ。
取り付けの日は3時間ほどかかったので、娘も相当疲れた様子でした。
毎晩私がフェイシャルマスクを取り付けるので、装具の取り付け方の指導を受け、娘の小児矯正生活がスタートしました

さすがに2.3日は矯正器具を気にして食事をするときなど食べにくそうにしていましたが、あっという間に慣れたようでした。
寝るときに付けるマスクは、おでこからあごにかけて金具が通っているものなので、「これで寝れるのかな?うつ伏せになったらどうなるんだろう?」と心配でしたが、初日から普通に寝ていたので驚きました(笑)
マスクを付けたまま、うつぶせ寝も全然しています。

それから4週間に一度位、検診に行っています。
今月で、ちょうど半年になりますが、なんと!ほとんど噛み合わせが治っています。
マスクにゴムを付けて引っ張るという、なかなか原始的な方法だったので、本当に治るのな?と半信半疑なところはあったので、歯並びがきれいになってきて本当に嬉しいです。
まだ戻ってしまう事もあるということで、しばらくは歯の位置が安定するまで矯正は続きますが、娘もとても満足そうなので、矯正をして良かったなと思っています。



7月3日(日)16:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 育児 | 管理

再び専業主婦になり半年たって思うこと。

結婚して、子供が生まれ、専業主婦をしていましたが、この先の教育費や生活費のためにと一番下の子が小学校に上がってからパートで働きだしました。
自分の自由になるお金が入るのも、今まで閉ざされていた社会への接点が開けたというのも嬉しい事でした。
パート自体は一人で黙々とやる仕事で、同僚とおしゃべりすることもあまりなかったのですがどちらかというと一人が好きなのでそのパートは私に合っていました。
それで10年以上続けられたと思います。

それがある時から人間関係がこじれて不眠気味になり、毎日が苦痛になってきました。
最後は、やめた方が自分のためにも会社のためにもいいだろうと思って、ついにパートを辞めたのです。
主人のお給料と今までの蓄えで、生活にはまあ困らない状況だったことも良かったでしょう。
そして久しぶり、16年ぶりに専業主婦になったのでした。
「専業主婦」というと、昨今では「良いご身分」と嫌味的に揶揄されるようでパートを辞めたすぐは肩身が狭いような気持でした。

結婚後の専業主婦時代は「子育て」という大義名分があったので、大きな顔ができていたのですが気が小さいのでしょうね。しばらくはうちに籠っていました。
それでも、パートの悩みから解放されたからでしょうか、だんだん気分が晴れてきてやる気が出てきました。
パート時代も、読書やレンタル映画鑑賞など、家事とパートの合間にしていましたがどれも「何か楽しいことしなくちゃ」という強迫観念のようにやっていました。
そしていつもイライラしていました。

それがパートの悩みがなくなったからか、まずイライラが減ってきて、笑顔でいられる自分を自覚できるようになりました。
気が付くと、ちょっとしたことをすぐ忘れる、モノを落とすという、それまで「年のせいか」と思っていたことがどんどん無くなっていったのです。

そうして窓が開かれていくような気分になって「専業主婦を楽しむぞ!」という気持ちが出てきたのです。
自分の収入はなくなったので、なるべくお金を使わないことをしようと思いました。
読書は図書館で借りれば問題はありませんし、レンタル映画は旧作になるまで待てば良いでしょう。
そして新たに始めたことはパソコンのタイピングでした。
今はネットで無料のタイピング練習がたくさんあるので、飽きずに楽しくできました。
今では毎日、主人があきれるほどのめりこんでやっています。

そしてパートを辞めて半年たち思うのはパートしていた時は、余暇を、たとえ趣味をしていたとしてもだらだらやってた。
また、働いているからだらだらしててもいいと思っていたのです。
そして今、自分で一日中自分をコントロールしなければならないのであの頃より自分が能動的になっているな、と感じてとても嬉しく思っています。



2月18日(木)08:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 育児 | 管理

子供がかわいくて仕方ありません

赤ちゃんの頃は小さくて弱々しくてかわいいのだけれど慎重に扱わないといけないので怖いと思ったり、よく泣くけれどなにが目的で泣いてるのかわからなくて参ってしまったりしていました。
けれど子供は大きくなるにつれて社会性を身につけていきますし、表情豊かになっていきます。
現在、言葉は喋ることができなくても行動や顔でだいたいなにが気に入らなくて泣いているのか。
なにをしたくて泣いているのかわかるのでだいぶ楽になったなとしみじみ思います。
よく考えたら赤ちゃんの頃なんてなにを考えてるのかわからないのにギャーギャー泣かれるんですよね。
育児ノイローゼになってしまう気持ちもわからなくないです。
今はもうわかりやすくて助かりますし、子供が全身を使って自分を必要としているのを訴えてくるのでかわいくて仕方ありません。
泣き声は赤ちゃんの頃より大きくなりましたし、あれがいい。
これはいやなどのわがままは増えて大変な面も確かにありますが昔より今の方が子供をとてもかわいがっています。
そしておもちゃを与えすぎて、お菓子も与えすぎて夫に呆れられる毎日です。
近所におもちゃ屋さんがあるのでついふらっと立ち寄っては喜びそうな物を買ってしまいます。
そうして案外遊ばれずに部屋のすみっこに置かれっぱなしになるんですよね。
こっちがいいと思って買ってあげたおもちゃでは遊ばずに、部屋を掃除する時に使用するコロコロ転がすクリーナーとかを気に入るのですから本当にわかりません。
でもかわいいからすべてを許します。



1月25日(月)22:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 育児 | 管理

新規の歯科医院はバリアフリー

最近、新規に開業した歯科医院はどこもバリアフリーの建物で、車いすでも容易に診察室に入ることができます。
玄関にスロープと手すりがついていて高齢者が診察を受けやすいように環境が整ってきたなと思います。
待合室もソファーや普通の腰かけはもちろん、小さい子が遊べるようなスペースまで兼ね備えた所が多く、弱者にやさしい施設になってきたなと感心しています。
数十年前の歯科医院といえば、急な階段を登り切った2階にあることが多かったように思います。
1階は他の事業所で2階を間借りしていたのかもしれません。
1階が歯科医師の住居の場合もありました。
どんな事情からかわかりませんが、入り口が1階でそこで靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて階段を上ってやっと受付という歯科を何軒か利用した記憶があります。
80代の父がお世話になっている歯科は、まさにそんな前近代的な作りの医院です。
階段を登りきらないと診察してもらえないのです。
足腰が弱り長距離の歩行ができなくなってきた父に、1階が診察室の他の歯科に代えたらと勧めてみました。
父は階段を登れるうちはその行きつけの所がいいと答えました。
先日の診察日は難関の階段をクリアするために父なりに準備して出かけました。
もし体が持ち上がらなかったら階段に手をついてでも上るつもりだったそうで、手袋を用意していったそうです。
両手で手すりにつかまってゆっくり登ったら2階に行けたと、喜んで報告してくれました。
高齢の患者が一人で階段を上って来るのを心配した歯科のスタッフはドアを開けて迎えてくれたそうです。
高齢化の進む現在、バリアフリーの歯科が増えているのは嬉しいことです



12月12日(土)20:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 育児 | 管理

風邪かしら?

急に寒くなった今日この頃。
鼻のムズムズが止まりません。
これは、花粉症なのかしら。
それとも風邪のひきかけかしら。
喉が痛いから、たぶん風邪のひきかけです。
こんな日は、ハチミツ生姜のレモン風味を飲むのが一番です。

たっぷりのハチミツに、これまたたっぷりの生姜のスライスを入れて漬け置きし、飲むときに水で薄めてお鍋で一煮立ち。
最後にレモンの薄切りを浮かべて出来上がりです。
身体がホッカホカになるし、喉にいいと思います。
だって、ハチミツでしょ?生姜でしょ?それにレモン!喉にいいものばかりだもの。

ハチミツの生姜漬けは、日持ちがするので、何日も前から漬け置きして、しっかり生姜エキスをハチミツに染み込ませるのが味噌ですね。
あ、そうそう、入れる生姜は、スライスしてから乾燥した後、ハチミツに投入すると水分が抜けてカビが生えにくいですよ。
こんなに急に寒くなったから、急いでハチミツ生姜を作らなくっちゃ。



9月26日(土)21:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 育児 | 管理

取り分けしつつ、晩御飯

次女が生後10か月を迎えるところです。
離乳食作りも大分楽になってきました。
大人のものを味付けする前に次女のお皿に取り、キッチンバサミでチョキチョキやれば完成だからです。
離乳食初期のころの、つぶす手間を考えたら本当に楽になりました。

先日は豆乳でマカロニグラタンを作りました。
我が家のグラタンはフライパンひとつで作って、焼きません。
チーズをのせないことも多いです。
具材が全部柔らかくなったころ、次女の分を
取り分けました。
あとは長女を含め、私たちのごはんになります。
そのグラタンがおいしかったのか、ご飯がおいしくなかったのか、白米を食べさせたら大泣きしてしまいました。
もう息ができないくらいの大号泣です。
グラタンを食べても泣かないのに、白米は嫌なようです。
そこでふりかけをかけてあげてみると、泣きもせずパクパク食べました。
9か月にして、もう味のこのみがはっきりわかるようになってきた我が家の次女でした。



9月2日(水)16:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 育児 | 管理

思い出のランドセル

久しぶりに押入れを片付けていたら、ボロボロになった
ランドセルが3つ見つかりました。
1つは私が6年間使っていたものですが、もう2つは私の
ものではありません。
幼稚園の年長の時、私は「ランドセル」が欲しくて
たまりませんでした。
入学シーズンに見たランドセルを見て以来、泣くほど
欲しがっていたそうです。
赤くてピカピカ光る姿に惹かれたのだと思います。
近所に住んでいた叔母に両親が話したところ、
ちょうど小学校を卒業した従姉妹のランドセルを
譲ってもらえることになりました。
少々ボロボロのランドセルでしたが、当時の私にとって
特別な存在でした。
ランドセルを背負っていると、「大人」になった気分に
なれたのだと思います。
ランドセルをもらってから、私はその中にノートや
鉛筆、絵本を入れて背負って遊んでいました。
そしてランドセルを傍らにおいて「文字」を書く練習を
していたことを覚えています
まだ勉強机を買ってもらっていなかったため
「子供用の机」を使用していましたが、ランドセルが
あるだけで小学生になった気分がしました。
卒園式を終えた頃、私は新しいランドセルを買って
もらいました

今まで従姉妹のランドセルで遊んでいたため、
そのランドセルで小学校に入学するつもりでした。
しかし傷ひとつない新しいランドセルにすぐに慣れ、
従姉妹のランドセルは「妹」の遊び道具に
なっていました。
私がランドセルを買ってもらったのが羨ましかった
そうです。
2人とも小学校を卒業してから、私、妹、従姉妹の
ランドセルは押入れにしまわれました。
それから数年後の今日、そのランドセルが今日
見つかった次第です。
ランドセルを開けてみると、3つともまだモノが
入っていました。
私と妹のランドセルには、当時使っていたノートと
教科書、プリントが入っていました
そして従姉妹のランドセルには、幼稚園の時に
使っていたノートやクレヨン、鉛筆、なくしていた
と思っていた絵本が入っていました
それらを見ているだけで、当時の楽しかった思い出に
浸ることができました。
せっかくなので、もうしばらく押入れにしまって
おこうと思います。



7月16日(木)08:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 育児 | 管理


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